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​浅野正富小山市長のメッセージ

4年目通信 第8回

2023年10月6日

 

 一昨日は、渡良瀬遊水地関係市町4市2町の首長が渡良瀬遊水地の貯留容量を増やすための掘削区域の拡大等を求めて、午前中に久喜市にある​国土交通省利根川上流河川事務所、午後は衆参両議院それぞれの議員会館で4県の地元選出にかかる衆参議会議員、その後国土交通省で官房審議官はじめ国土交通省幹部に対して要望活動を行いました。

 

 渡良瀬遊水地の貯留容量は約1億7000万㎥で、2019年の東日本台風の際には貯留容量の95%に相当する約1億6000万㎥まで河川水を貯留しました。

 私も小山市生井の桜堤からその時の第2調節池の状況を確認しましたが、思川と遊水地の区別がつかなくなり、巨大湖と化した光景には衝撃を受けました。富士山をバックにしたその時の写真と通常の状態のコウノトリの巣塔が写っている写真を掲載しますが、遊水地内の水がほぼ満杯の状況を見ると、もう少し雨が降ったら遊水地があっても水害が防ぎきれなくなるのではないかと思わざるを得ませんでした。

 第2調節池では、2010年から利根上流河川事務所による湿地保全再生事業として掘削が進められていますが、現在までに約90ha、約120万㎥が掘削されました。計画では約240haまで掘削することになっておりますので、湿地再生事業によって増える貯留容量は最大約320万㎥ということになりますが、現在の貯留容量約1億7000万㎥の1.8%に過ぎません。

 渡良瀬遊水地の完成は1922年ですが、現在の貯留容量を確保できるようになったのは1963年に始まり1997年まで続いた調節池化工事によるもので、貯留容量を確保していくためには本当に長い年月が必要とされます。

  

    これからも渡良瀬遊水地の存在によって大きな水害が発生しないことを祈るばかりですが、気候変動によってかつてと雨の降り方が変わり雨量が急増している昨今の状況からすれば、水害を防ぐためには不断の掘削工事による貯留容量の向上が求められるでしょう。そのような中でラムサール条約湿地に登録された遊水地の素晴らしい湿地生態系を保全していくために果たすべき利根川上流河川事務所と地元自治体の責任は益々重いものとなります。

  

 その責任の重さに何とか耐えられる小山市であり続けたい、と思っております。

4年目通信 第7回

2023年9月27日

 

 先週末から昨日まで、毎日行事が続きました。
23日土曜日は、午前中、先ず9時から秋の全国交通安全運動の一環として国道50号ゼビオの交差点のところで、小山市結城市の合同街頭啓発活動があり、結城市の小林栄市長はじめ結城市の皆さんと一緒にドライバーに交通安全を呼びかけました。
 そして10時半からは小山市中央市民会館内の中央公民館で開催された「これからの中央市民会館・文化センターを考える市民ワークショップ」に出席して挨拶をし、11時過ぎに会場を後にして道の駅思川に向かいました。道の駅では、11時20分ころから約20分、ラムサールふゆみずたんぼ米の新米販売会に立ち会い、買い物に来たお客さんに向かって、松本治会長はじめ「ふゆみずたんぼ実験田推進協議会」の会員の皆さんと売り出しの呼び掛けをしました。

交通安全を呼びかける(写真左)

道の駅思川でラムサールふゆみずたんぼ米の新米販売会の様子(写真右)

 24日日曜日は、午前10時頃から私の出身校である早稲田大学校友会栃木県支部総会のために小山に来られた早稲田大学の田中愛治総長を地元小山稲門会の会長の大湊茂夫さんと副会長で野木町町議会議員の黒川広さんと一緒に、渡良瀬遊水地エコツーリズムガイド協会会長の門馬悠一さんのご協力を得て渡良瀬遊水地と関連施設をご案内しました。先ずは野木町ホフマン館に向かい野木町の真瀬宏子町長はじめ野木町の方にご案内いただき、その後は野渡橋を渡って遊水地の中に入り、史跡ゾーンの旧谷中村役場跡を歩き、鷹見台に移動して第1調節池、第2調節池を眺め、生井の桜堤に移動して、鷹見台と反対方向から第2調節池を眺めて頂くと、富士山の姿もうっすらとみることができました。最後にコウノトリ交流館によって、2020年に亡くなったコウノトリの「歌」のはく製や展示品、コウノトリの動画等をご覧いただき、午後1時ころには支部総会会場の小山グランドホテルまで総長をお送り致しました。ホフマン館と桜堤での写真がこのホームページの門馬さんのブログに掲載されています。ホテル着後私はホテルに残り、総長の講演、総会、懇親会に午後7時まで参加させて頂きました。

 25日月曜日は午後1時半、小山市とは姉妹都市であり、交流を始めて21年になるオーストラリアのケアンズ市からお越しになった豪日協会のヘインズ夫妻の表敬訪問を受けました。夫妻には先月小山市の中学校・義務教育学校のケアンズ派遣団がお世話になり、その時の写真を額装したものをお贈りしたところ大変喜んでいただきました。夫妻からは大変珍しい交流5周年の際に小山市からの訪ねた際に持参し

ケアンズ訪問団がお土産として配った缶バッジ

てケアンズの皆様におみやげとして配ったおやまコアラとおやまくまの缶バッチがまだいくつか残っているととのことで頂きました。表敬訪問に立ち会った小山市側関係者の中には誰もその缶バッチのことを知っている人がいませんでしたし、交流関係の資料の中に何も記録されていないのですが、ケアンズでは大変大事にされていたことに感激しました。

Artist Ebi さんと須賀神社参道の宿泊体験施設で

 ヘインズ夫妻とお別れして、直ぐに役所を出て、地域おこし協力隊の横山隊員が手掛けた須賀神社参道脇の2軒目のリノベーション宿泊施設で行われたArtist ebiさんの建物外壁にペイントされたウォールアートのお披露目イベントに顔を出しました。

ebiさんは、普段はデジタルアートの世界で活躍されており、パリのルーブルで開催された展示会にも出展され、6月には小山市内の横山隊員が手掛けた1軒目のリノベーション施設で個展を開いて大変好評を得ています。今後も小山を活動拠点の一つとして活躍していただきたいと思います。

​ そして、午後2時40分過ぎに須賀神社参道脇から一路会津若松に向かいました。

小山市自治会連合会役員研修が1泊2日の日程で行われ、会津若松のホテルに宿泊するので、私も夜の懇親会から合流するため会津若松のホテルに向かったのです。

 そして、26日火曜日は。朝から役員研修に同行し、会津武家屋敷、飯森山、七日町通りを見学し、午後4時前小山に戻りました。会津若松は何度か訪

ねていますが、飯森山は初めてで鶴ヶ城を遠望する白虎隊自刃の地では若くして散った白虎隊隊員の無念さがひしひしと伝わってきました。

   こんなに行事が集中していることはしばしばある訳ではありませんが、市長の活動は役所内での市政運営のための執務ばかりではなく、様々な行事出席も活動の柱の一つになります。

様々な人と出会い、話を聞き、言葉を交わし、多くの人と体験を共通にすることは社会経済情勢、そして人心を正確に把握して市政運営をしていく上で極めて重要なことです。

 皆様とも、どこかの行事やイベントでご一緒させて頂くことを楽しみにしています。

4年目通信 第6回

  2023年9月19日

 

 約2週間ぶりの投稿です。

 毎週1回投稿するつもりで始めた4年目通信ですが、この10日間プライベートな面で取り込み中になりまして、1回パスしてしまいました。今後の投稿を調整しまして週平均1回を回復したいと思います。

 さて、そのような中、今回はちょっと省力モードで、私自身の文章ではなく、8月に小山市に視察に来ていただいた「よしかわ市民ネットワーク」のメンバー、岩田京子さんがご自身のブログに投稿された視察レポートを紹介しますので、是非皆さんに閲覧してもらいたいと思います。

 URLは以下のとおりです。

 https://ameblo.jp/gan-kyon/entry-12814794262.html

​ 

 小山市での取り組みを他の自治体の方にどのように見て頂けているのか?

なかなか良く分からないまま、日々目の前のことに奮闘してしまいますが、客観的に小山市の取組みを眺めるためには、第三者の視線は欠かせません。

今回のレポートはちょっと評価され過ぎのような気がしますが、「小山市もっと頑張れ!」とのエールが込められているものと理解して、今後も「田園環境都市おやま」に相応しい取り組みを進めて行きたいと思います。

 

岩田京子様

この度はありがとうございました。また、是非小山市にお越しください。

4年目通信 第5回

 2023年9月4

 

 昨日は、5週間ぶりに太平山に行ってきました。

太平山と言っても山頂ではなく、謙信平までです。下皆川林道の入口の駐車場で車を降り、駐車場の直ぐ傍から林の中に分け入る登山道を登り、途中からは舗装された歩道を歩いて謙信平までの道のりですが、6時20分から登りはじめて6時45分には謙信平の駐車場に着きました。

生憎昨日は雲がかかっていましたが、冬の晴れた日には富士山や東京のスカイツリーまで見ることができる、とても展望の良い場所です。

 上の写真は昨日の写真で遠くの山は全く見えません。しかし、2か月前の7月2日は、夏にもかかわらず、上空は曇っていたものの何故か水平線の近くは遠くまで見え、富士山も写真に撮ることができましたので、その時の写真も紹介します。

 コロナの感染が始まって間もなくの2020年4月ころから、遠出も憚られるので太平山くらいならと土日や祝日に太平山に通うようになり、そのうち選挙に出ることになってしまい、当選して市長に就任してからは、それこそ時間がなくて太平山くらいにしか行けなくなってしまいました。日本百名山70峰踏破の記録は止まったままで、この約3年半の間に太平山に百数十回は通ったと思います。1か月に平均3回位は登っていましたが、この1か月は色々と支障があって登れなかったので、5週間ぶりとなりました。

  時間がないと最短の下皆川林道駐車場から謙信平往復コースですが、時間があれば、謙信平から太平山神社経由で太平山山頂、さらに晃石山に縦走して、直接清水寺に下りたり、大中寺や清水寺から晃石山に登って青入山、桜峠経由で清水寺に下りたりもしますし、清水寺から大中寺へのあじさい林道の途中から晃石山に登ると途中には水場があり、初夏にはやかましいカエルの鳴き声を聞くこともできます。

 

 こうやって太平山に足繫く通うようになると、四季の変化を太平山で感じることがとても多くなりました。1週間経つだけで咲いている花がすっかり入れ変わる様を見たり、木々の緑の色がどんどん変化していくのに緑という言葉でしか表現できない自分の語彙不足を恨めしく思ったりします。

 昨日も、白ムクゲやツユクサなどまだ夏の草が見られたにもかかわらず、足元を見るとどんぐりや栗のイガが沢山落ちていました。毎日猛暑日が続いていても、秋は確実に近づいてきています。

太平山で感じる自然を、これからも時々お伝えできればと思います。

4年目通信 第4回

2023年8月29日

 

 小山市は、8月26日の土曜日に「2054年の小山市を語ろう!」というテーマで令和5年度第3回の小山市民フォーラムを開催し、昨日8月28日には小山市民ビジョン会議~学び合うセミナー第1回「小山版SDGsを探る~地域社会の持続可能性を支えるもの」を開催しました。どちらも市政施行70周年となる令和6年度(2024年度)の完成を目指して策定を進めている「田園環境都市おやまビジョン」に関連する催しでした。同ビジョンは、30年後の市政施行100周年になる2054年の小山市のあるべき姿を描くためのビジョンです。

 

 私は、3年前の市長選で「田園環境都市おやまのまちづくり」を公約の一つとして選挙戦を戦い、当選後は市政運営の基本方針の一つとして、この「田園環境都市おやまのまちづくり」を掲げています。

 小山市は、農業、商工業のバランスが良く、東西南北の交通の要衝にあり、市街地の周辺に農地や平地林の田園環境が広がって思川が注ぎ、コウノトリが定着・繁殖したラムサール条約湿地/渡良瀬遊水地に繋がるすばらしい環境を有している、コウノトリによって選ばれた首都圏の中で有数の田園環境都市です。このバランスの良さを残しながら、市民にとって大切なものを守って確実に将来につなぎ、市民が住みやすい、住み続けたい持続可能なまちづくりをして行こうとするのが「田園環境都市おやまのまちづくり」です。そのまちづくりの指針になるものとして、30年後の小山のあるべき姿を描く「田園環境都市おやまビジョン」を策定し、そのビジョンの下で、総合計画をはじめとする各種計画や事業を進めて行こうとしています。

 

 今年度の市民フォーラムは、8月17日に2回、26日に1回、9月9日に2回と、先ず5回のフォーラムを集中的に行い、交通環境・公共施設、少子化・子育て・教育、コミュニティ、関係人口、農業・自然、医療・介護、文化・生涯学習等の7分野に分かれてグループワークを行い、各グループから30年後にめざす小山の姿について意見を出してもらう形で開催しており、26日はその3回目でした。

 また、田園環境都市おやまビジョンの策定のため、市民の方から様々な意見を頂き、ビジョンに反映する作業を市職員と市民が協働して行うために、市議会議員も含めた市民で構成する小山市民ビジョン会議を先ごろ設置し、28日にはその第1回として、勉強会としての学び合うセミナーを開催しました。

 

 26日、28日両方の催しに参加し、各グループのまとめの発表や講師による講演を聞いていたら、驚くくらいに意味がほぼ同じフレーズがそれぞれのスピーカーによって使われていました。それは「人と人をつなぐ」とか、「人のつながり」というフレーズです。

 市民フォーラムでの各グループからのまとめの発表では、関係人口や介護とかの分野に関して人とのつながりが重要との意見が出るのは当然としても、交通環境や公共施設について「人と人をつなぐためのもの」とか、少子化対策の第一は「出会いのあるまちにすること」とか、生涯学習の意義は「地域の人々がつながる」ことにあるとかの話を聞き、そして、セミナーの中で講師から「これからのまちづくりでは地域を支える人々のつながりを作っていくことが最も重要」と指摘されて、こんなにもみんながまちづくりに関して「人と人のつながり」に着目していることに驚くとともに、住んでいる人たちのためのまちづくりであれば、「人と人のつながり」が最も大事なものとして捉えられるのは、ある意味当然のことなのかもしれないと思いました。

 

 「私たちがつながり、私たちがまちをつくる」

この考え方の下で、私たちは、田園環境都市おやまビジョンを策定し、田園環境都市おやまのまちづくりを進めて行きたいと思います。

 今回の写真は、小山に住む私たちをつなぐシンボル、思川と市役所北の御殿広場を、26日の市民フォーラムの休憩時間に会場だった市役所6階会議室から撮った写真です。まだ、市役所の上の階から思川や御殿広場を見たことがない方は、是非一度この素晴らしい風景をご覧頂きたいと思います。

4年目通信 第3回

2023年8月20日

 

 昨日8月19日午前9時から、小山市桑地区にある東島田ふるさとの森で第1回おやまグリーン・アクションプロジェクトが小学生の子ども十数名と大人たちで開催され、私も参加しました。

東島田ふるさとの森は、小山市が管理する保安林約3.3へクタールの平地林ですが、昨日のグリーン・アクションプロジェクトはそこに生息する生物の観察、特に昆虫採集をしてみようというイベントで、今日20日付の下野新聞県南版には、参加した小学生の中でとても昆虫に詳しい子がインタビューされていた記事が掲載されていましたので、興味がある方は是非ご一読ください。

 

​ 私から今回皆様にお伝えするのは、新聞記事には出ていなかった、この東島田のふるさとの森の中に設置されていたイノシシを捕獲するための箱罠のことです。写真に写っている檻状の罠が箱罠と呼ばれるもので、今年7月下旬に農政課が現地に設置しましたが、設置後わずか3週間くらいの間に6頭のイノシシがこの箱罠にかかって捕獲されました。

 何故、ここに箱罠が設置され、短期間で6頭も捕獲されたと思いますか。その訳は、もう1枚のヒノキの大木が写っている写真を見れば分かります。ヒノキの根元の皮がすっかり剥けてしまっていますが、これは、この場所がイノシシの通り道になっていて、ここを通るイノシシが皆ヒノキの根元に体をこすりつけたからなのです。ものすごい回数イノシシがこのヒノキに体をこすりつけなければ、このようにきれいに木の皮が剥けることはなかったでしょう。ですから、このヒノキの直ぐ傍に箱罠が設置され、わずかの期間に6頭もイノシシが捕獲されたのです。

昨日は、現地で昆虫採集に入る前に先ず農政課の職員からこの箱罠についての説明があったのですが、ほとんどの方はとてもびっくりしていました。

 

 イノシシを捕獲するため、こんなところにまで箱罠を設置するようになった小山市ですが、10年位前まではイノシシの姿はほとんど見られませんでした。ところが、平成26、27年ころからイノシシが市内に出没し始め農作物にも被害が出るようになったので、有害鳥獣駆除として市はイノシシの捕獲を始めました。

捕獲したイノシシの数は平成27年度が2頭、28年度が14頭、29年度が46頭、30年度が100頭、令和元年度が127頭、令和2年度が146頭、令和3年度には192頭と急激に増加しました。そして、令和3年度には初めてシカも有害鳥獣として捕獲されました。現在、シカはこの東島田ふるさとの森よりも少し南の辺りで10数頭生息していて繁殖もしているそうです。

 

 イノシシもシカも河川敷を伝って山間部から小山市まで移動してきたと言われていますが、東島田のふるさとの森の直ぐ西側が思川ですから、この森に出入りするイノシシが多い訳です。そして、思川を伝って渡良瀬遊水地に入ったイノシシは今では数百頭、一説では千頭以上生息しているとも言われています。また、イノシシの活動範囲は西に広がり、思川沿いから国道4号線を越え、さらにJR東北線の先、思川からは数キロ先になる新4号国道近辺でも目撃されています。

 イノシシやシカが小山市のような平地で爆発的に増えるようになるとは、おそらく10年前には想像すらされなかったと思います。他方、絶滅の危機を迎えている生物種は増え続けています。最近は地球温暖化の深刻化が著しいですが、生物の世界も以前に考えられないような生息環境の喪失・悪化、それに伴う分布域の大変動が起こっています。

これからは気候変動を抑えていくための二酸化炭素削減だけでなく、生物の世界で起こっている危機的状況についてもしっかりと目を向けていく必要があるでしょう。

 

 小山市は今秋10月1日にゼロカーボンシティ宣言を行いますが、同時にネイチャーポジティブ宣言も行います。二酸化炭素削減と生物多様性向上の両面からの取り組みをしっかりと進め、私たちの子どもや孫たちが将来安心して生活できる環境を守って行きたいと思っています。

 

4年目通信 第2回 

                    2023年8月13日

 

 小山、野木、結城の中学生と共に参加した被爆78年目の8月6日の広島平和記念式典から1週間が経ちました。今まで何回か広島の平和記念公園や平和記念資料館に立ち寄ったことがありましたし、原爆ドームも近くで観ていましたが、平和記念式典に参加するのは初めての体験でした。8月6日の8時15分、原爆が投下された瞬間の時間にその地で黙禱したことで、広島での原子爆弾投下が一瞬にして一般市民の平穏な生活を奪い去ったいかに残酷なものであったかということを改めて感じました。

 また、6日の夜に元安川で行われた灯ろう流しは原爆ドームもライトアップされ素晴らしい光景でしたが、78年前この場所がどれだけ悲惨な状況であったかを想像すると目の前の幻想的な風景とは別なものが見えてきました。

 8月7日午前には、90歳になる被爆者の方から被爆体験の講話を伺いましたが、原爆によって全身を火傷し、被爆から僅か2日で亡くなった父親を兄と二人で火葬した話は中学生たちにはかなりショッキングなものだったのではないかと思います。

     昨日は8月12日でしたが、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落し520名が亡くなった昭和60年8月12日から38年が経ちました。私が38年前に初めてこの事故のニュースを聞いたのは、友人2人と北アルプス槍ヶ岳からキレットを越えて穂高に向かう山行の途中で雨のため槍ヶ岳手前の避難小屋で停滞していた時のことでした。

「こんなに大勢の乗客が乗っている飛行機が墜落すると誰か知っている人が犠牲者にいるかもしれないね。」と友人と話をしたのを憶えていますが、山から下りて自宅に戻ると、大学時の語学クラスの同級生の一人が犠牲となっており、3歳の子どものことを思いやるメモを飛行機降下中に残してそれが墜落現場で発見され、新聞で大きく取り上げられていました。数日後には同級生数名と一緒に群馬県藤岡市の遺体安置所にお悔やみに行きましたが、まだ30歳前の若さで子どもが僅か3歳なのに、乗り合わせた飛行機が墜落して突然命を奪われたことに、本人はさぞや無念だったろうと手

を合わせました。それからもう38年も経ち、一緒にお悔やみに行った同級生の中にも亡くなった者が出ています。

 人の命は本当に儚いもので、私たちはいつも死と隣り合わせで生きています。いつどこでどんな戦禍や事故、災害そして病気に遭遇するか分かりません。私もあなたも明日まで生き延びている保証はどこにもないのです。しかし、そんなことは忘れて、私たちは明日のことを考え、1年後のことを予定します。今日まで生き延びられていることに本当に感謝しなければならないのに、ついつい今日生きていることを当然のこととして日々を過ごしてしまう。

そんな傲慢な私たちに、その傲慢さを気づかせてくれる貴重な機会の一つが8月6日の広島、8月9日の長崎や3月11日の東日本大震災ですし、私にとっては8月12日の御巣鷹山です。そして、ウクライナで毎日起こっていることに思いを馳せれば、私たちがどれだけ幸せな環境にいるかが分かるでしょう。

 長崎も今まで何回も立ち寄りましたが、昨年10月に全国市長会主催の全国都市問題会議が長崎で開催された際に初めて平和公園まで足を延ばすことができました。この1年間のうちに長崎、広島と2か所の原爆投下地のメモリアルパークを訪ねられたことは、平和都市宣言をしている小山市の市長としての責任を改めて自覚する機会にもなりました。テキストです。

 今日からは旧暦の盂蘭盆会です。先祖や亡き人を偲び、今日まで生き延びていることに感謝したいと思います。そして、無辜の市民の命を一瞬で奪ってしまうような核兵器や戦争の廃絶とあらゆる災害や人災の根絶をめざしていくことを誓います。

4年目通信 第1回

2023年8月6日

 皆様、ご無沙汰しています。

 7月31日月曜日、小山市長に就任して4年目に入りました。2020年7月の就任以来ずっとコロナ禍が続き、通常の状態での市長としての日々を送ることがなかなかできなかったこともあり、ホームページに皆様へのメッセージを定期的に送るような情報発信に手付かずのまま3年間を終えてしまいました。

 その結果、支持者の方からも「浅野市長の記事を新聞で見たり、テレビのニュースで顔も見るけど、やはり直接浅野市長の思いを聞きたいよね。」とのご意見を頂いたりしています。

そこで、これからは1週間に1回、ホームページに「4年目通信」と題してメッセージをアップしようと決意しました。お時間のあるときに時々ホームページを閲覧して頂ければ幸いです。

 7月31日、市長就任4年目初日の最初の公務は、朝6時からサマーフェスティバル2023のクリーン作戦でした。前夜午後9時近くまで開催された4年ぶりの小山の花火の会場で出たゴミの片付けを市職員や市民ボランティアと一緒に行う作業です。

作業開始と同時にゴミ拾いトングを手に取り市役所北側の御殿広場のゴミ拾いを始めたのですが、芝生の上に最初に見つけたゴミは、約15センチ四方に広がる紅ショウガの山でした。紅ショウガの一つ一つは小さいのでトングで何度も何度も拾ってゴミ袋に入れましたが、4年目最初の市長としての仕事が捨てられた紅ショウガとの格闘というのもあまり格好の良い話ではないですよね。

   4年目通信には毎回私が撮影したり、私が写っている写真や動画を載せたいと思うのですが、初回の写真が紅ショウガでもしょうがないので、4年目初日の写真の代わりに3年目最後の7月30日の小山の花火のフィナーレを飾ったスターマインの動画を載せることにします。

 素晴らしい花火ですので、是非お楽しみください。

市長就任3年目を迎えるにあたって

 

     この7月31日で市長としての初登庁から早くも丸2年となり、4年間の任期の折り返し点となります。この2年間、学校の雨漏り対策、市道の補修問題からはじまり、ワクチン接種等の新型コロナウイルス感染症対応、新市庁舎への引越し、豊田小学校開校等々山積する市政の課題に取り組むことと並行して、田園環境都市小山を目指して市民フォーラムの立ち上げ、菜の花サミットの開催、渡良瀬遊水地ラムサール条約登録10周年記念シンポジウム開催等超多忙な日々を送ることとなりました。

 

 一方、立候補以前から激しさを増したコロナ感染拡大の防止観点から、選挙運動を支えてくださいました支援者の皆様、後援会会員の皆様には一堂に会して選挙結果のご報告、当選お礼の機会を持てないまま今日に至りましたことは、誠に残念であります。

 

 再びコロナ感染拡大の兆しが見えますが、国、県とも徹底した感染防止対策を講じつつ行動制限を発する事は控えるとの方針が取られておりますので、この秋にもあさの正富後援会総会を開催し、これまで2年間の市政報告をさせていただければと考えております。引き続き全身全霊で市政運営に取り組み、残る任期を全うするする所存ですので、引き続きのご支援をよろしくお願い申し上げます。

 

2022年7月吉日

小山市長   浅野正富

2022年新春に当たり


 市民の皆様、明けましておめでとうございます。

 昨年は、コロナ禍で始まり、そしてコロナで暮れた年となりました。今年もウィズコロナの中での市民生活を余儀なくされると思いますが、様々な課題を着実に進めてゆきたいと、新年に当たりインタビューの中で抱負を述べさせていただきました。下のアイコンをクリックしてご覧いただくか、このサイト内のブログにインタビューをシェアーしました。是非ご覧いただけたらと、宜しくお願い申し上げます。

​ 2022年1月 小山市長 浅野正富

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